伯爵奇譚「ある執事の証言」 |
ようこそおいでくださいました。 先日いただきましたお手紙は拝見しております。 ええ、こちらのお部屋へどうぞ。 外の雨でお寒うございますでしょう。 ええ、ええ、そうでございましたか。 ロンドンの探偵社の方でございましたね。 上着をお預かりいたします。どうぞお座りください。 私はこちらのお屋敷を任されております、ハウス・スチュワードでございます。 ええ、そうでございますね、執事のようなものでございます。 以後、お見知りおきを。 ほら、お客様にお茶とお菓子をご用意なさい。 気の利かないメイドで申し訳ございません。 何分、まだこの屋敷で働き出したばかりでして。 ご主人様でございますか? はい、今はお休みになられております。 本日は……ああ、あの件でございますか。 はい、その通りでございます。よくご存知で。 ええ、そうでございます。 私も全てを把握している訳ではございませんので。 いえ、そのようなことは…… 滅相もありません。隠蔽などと。 はあ、なるほど、よく分かります。 ええ、ええ、ええ。 仕方がございませんね。他言無用でございますよ。 お話は少々長くなりますがよろしいでしょうか? お客様と込み入った話をいたしますのでお前は下がっていなさい。後は私がします。 いえ、お気になさらず。 では、お茶を召し上がりながら、お聞きください。 そうでございますね、三ヶ月ほど前でしたか。 今日のように雨の酷い日でございました。 それはそれは珍妙な格好をした胡散臭い男が訪ねて来ましてね、ええ。 薄汚いコートと長い髪をまとめた帽子にとても大きなトランクを持っておりました。 いえ、何が入っていたかまではお答えしかねますね。 奇術師のような素振りで仰々しく礼をしたかと思うと、ニヤリと不気味な笑みが張り付いておりました。 ええ、そうでございます。ご主人様が秘密裏にお呼びになったのでございます。 ご存知の通り、奥様は一度お亡くなりになっておられます。 長年、大病を患っておいででしてね。 ええ、ご主人様は大変お嘆きになり、方々に手を尽くされたのです。 はい、そうでございます。なんとか生き返せないかと。 そう、死者を、でございます。 全く以っておかしな話でございます。 ええ、ええ。 奇術師の不可思議な超絶技巧はそれを可能とするとか。 ええ、そういった触れ込みでございました。 その一部始終を何人かの使用人が盗み見ておりました。 ええ、無論、お話しいたします。 まず、横たわった奥様の服を切り取りました。 まあ、その辺の仔細は…… 細いナイフのようなものを取り出し、手首、足首、みぞおちなど、要所に切れ目を入れましてね。 ええ、首に縄をかけて天井に吊るし上げ、血抜きをしました。 いえ、ぶつぶつ独り言を呟きながら作業をしておりましたので。 なんでも脳の血は技巧に必要らしく、それ以外の血を抜いておりました。 奥様のお体は白くなっておられました。 その間、大量の桶を用意しましてね。それぞれに液体の薬品を満たしておりました。 暑い中、腐らせぬための防腐剤だったのございましょうか。 そこからはかなり凄惨だったようです。 血抜き終えたお体を、いくつも機能ごとに切り分けましてね。 ええ、骨は鋸やノミを打ったりで。 人間の技とは思えないほど鮮やかな手さばきでございました。 部位ごとに大きさを測り、小さな数字や番号を丁寧に刺繍しまして、桶に漬けておりました。 そうでございます、バラバラになっておりました。 全てを漬け終えると、拡大鏡や絞りが仕込まれたゴーグルをかけましてね。 ええ、至極精度の要る作業なのでしょう。 複雑な形をした工具を持ち、金属製の細い管をバラバラのお体に通しましてね。 極小の軸受け、シャフトやギアなどの伝達部品や駆動機関を連動するように取り付けておりました。 気の遠くなるほど緻密な作業でございます。 ええ、そうでございます、その光景を見て倒れそうな者もおりまして。 代わる代わるその様子を観察していたのでございます。 お屋敷の仕事でございますか? なんとか取り繕ってはおりました。 ご主人様も臥しておられましたので、然程業務があった訳ではございません。 話を戻しますと、厄介なのは脳への技巧でございます。 御髪を剃り、頭蓋骨を切開して、硝子製の計器を幾重にも埋め込み、金属の管と継いでおりました。 ここまでくると、もう悪魔の技でございます。 どのような結果をもたらすかなど、誰も想像できなかったでしょう。 胴体の上半分は脳から計測された情報を演算し、各部位への出力に変換する装置を組み上げました。 下半分はですか、臓物は取り除き、分厚い鋼鉄の汽缶と炉を据えられておりました。 調整弁から繋いだ十数個のシリンダが上半身の装置の動力部となるのでございます。 ええ、なぜ伝聞でそこまで分かるのかと申しますと、私も少しばかり工学の心得がございましてね。 そうです、ギムナジウムで学びました。 ええ、ドイツの。医学も最先端の技術がございました。 おや、ちょっと寒くなってきましたでしょうか? 暖炉に火を点けましょう。 お茶のお代わりはいかがでしょうか? 特注の茶葉でございます。遠慮なさらず。ええ、どうぞ。 ええと、また、脱線してしまいましたね。 奇術師はすべての部位を束ね、念入りに接合、縫合しました。 ニヤリとしながら、それはもう一心不乱に。 奥様はツギハギだらけのお姿になってしまいました。 はい、それは、死者を蘇らせたかどうかの定義によりましょうか。 臍の下にある開閉部より火を入れました。 がたがたとお体が揺れだし、両耳から蒸気がカシュっと吹きでました。 口からは黒煙を吐き散らしておられました。 ギリギリと手、足、指先の順で動き、なんと、立ち上がり、歩き出されたのでございます。 技巧などではなく、ほとんど魔術の類かと思わせる様でございました。 黒煙が声帯を振動させ、何か呻くような音を発声したのでございます。 ええ、何をおっしゃっているのか全く分かりませんでした。 ただ、生き返ったと断言しては差し支えることでございましょう。 三日三晩続いた、解体と人体改造という超絶技巧を施し、奇術師は昏倒寸前でございました。 ご主人様はといいますと、もうお年をかなり召されておりましてね。 ええ、ほぼ耄碌されておいででしたので、再び動き出した奥様を見て大層お喜びになられましたね。 私の目にはとても生前の奥様とお見受けできるはずもございません。 ええ、まあ、生前にお見かけしたことはございませんが。 奇術師の失敗作だと、そもそも死者の蘇生は禁忌に触れる行為ではございませんか? ええ、確かに、それは私が決めることではございません。 実際、ご主人様は感じ入り、奇術師に莫大な恩賞と援助資金、そして地位を与えたとか。 そうでございますね、素晴らしい偉業かもしれません。 しかし実際は、視神経と連動が取れず、白濁した瞳でご主人様を捕らえておられました。 見えていると認識しているかしていないかは問題ではございません。 認識自体が問題だと思っております。 ええ、それから、そうですね。 日に20回ほど砕いた石炭をザラザラと奥様の口に流し込みました。 それに、背中に取り付けられた入水口から蒸留水を注さなければ維持できないようでした。 ええ、不純物が残る硬水では駄目なのです。 また、防腐剤も日に何度も塗布いたしました。 酷く臭いましたよ、屋敷中に。 真夜中に子バエを集らせて、暗闇から現れたときは心臓が止まるかと存じました。 ええ、それは難儀いたしましたね。 あれはまごうことなく失敗作でございましょう。 各神経系に対する脳からの反応には不足がございました。 それで、奥様は自我を認識して動いていたか、でございますか。 私にも分かりかねますね。ええ、誰も確かめようがない、神のみぞ知ることでしょう。 しかしですね、それについて興味深い事件が起こったのでございます。 ある晩のことでございました。 ご主人様と密かに関係があったとされる若いメイドを刺殺されたのでございます。 ええ、それはもう腹部をざっくりと。 そうでございます、寝ていたところでございました。 ええ、階段を降りることができるとは私も思っておりませんでした。 そのメイドですか? 即死ではござませんでした。悶絶の叫び声をあげ、もだえ苦しみ続けました。 はい、そこに使用人たちが駆け付けたのでございます。 その後、奥様はどうされたと思いますでしょうか? ええ、ええ、手にされていた若干錆びついたナイフで裂いた後です。 なんと、はらわたに手を突っ込まれましてね、子宮を取り出そうとされていたのでございます。 夜中でしたので、蒸気機関の出力馬力はやや落ちておりましてね。 ええ、結局、子宮までは届かず、腎臓と腸を引きずり出せたぐらいでございました。 そうでございます、言うまでもなく、内臓の一部を失ったメイドは助かりませんでした。 ええ、それが自我を持っていたという根拠となると? どうでございましょうか、ただの不具合と偶然が重なっただけかもしれませんね。 しかし、私は強い嫉妬の執念が為せる業であったと確信しております。 奥様は、ご主人様の愛を一身に受けましたが、病のため、子を授かることが難しかったのです。 ええ、そして、その病弱さゆえに不義に対して復讐もできず……怨恨の炎に身を焦がし亡くなられた。 そう、奇術師の繊細にして大胆なる超絶技巧は自我の出力という神の域に達していたと。 畏れ多くも、かのニコロ・パガニーニのごとく悪魔に魂を売り払ったのでございます。 はい、そうは申しても失敗作、技巧の完成にはまだまだ試行が必要でございましょう。 ええ、それで、奥様でございますか? 二月と持たず脳が腐りました。 いえ、ある程度パターンを組んで模擬的に動かすことは可能でしょう。 ええ、そんなものはただの織機と同じでございます。 私には動かす意義を見出すことはできないでしょう。 ええ、ええ、今は静かに眠りにつかれております。 他の使用人ですか? 事件が起きた後、みな逃げるように退職いたしました。 契約上、箝口令を敷きましたが、やはり人の口に戸は立てられませんね。 ええ、そういった顛末で、使用人は私と先ほどの新人メイドの二人しかおりません。 いかがでしたか? 奇妙奇天烈な噂の真相にご満足いただけましたか? ええ、ええ、それはありがたきお言葉でございます。 長い話にお付き合いいただきました、大変お疲れの様でございますね。 もう遅い時間でございますので、今夜はお泊りになってはいかがでしょうか? ああ、これは失礼いたしました。ついつい、ニヤリと笑う癖がありましてね。 2016.6.9<初出> 2016.6.12<加筆修正> |
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