伯爵散文「The rule of the law」




赤い太陽が遠く荒野の地平線にゆらゆら沈んで行く。
ここテキサス州の小さな町のサルーンは毎晩のように活気があり、
様々な音と匂いで満ち、夢や魂でむせるようにあふれ返っていた。

"デスペラード・サルーン"にいた者たちはこれから何が起ころうとしているのか、
知る由もない、また、興味も然程ありはしないだろう。
そのくらい些細な、あまりにも些細な出来事だった――



立てつけの悪いスィングドアを大仰に開け広げ、
肩で風を切り、揚々と鼻歌を唄いながらテーブルの隙間を縫う男がいた。

膝ほどの黒いマントに身を包み、つばが広めの黒いハットを目深に被っている。
幾らか背の丈が低く若い男であったが、ある種独特な余裕と風格を漂わせている。
ややにやけた表情のままカウンターまで漕ぎ着け、気障ったらしく肘をついた。
「ヘイ、バーテンダー、バーボンを俺にくれないかい?」

$1硬貨を人差し指と中指で挟み、ぱちりとこれ見よがしに置いた。
その光景を訝しそうに伺う白髪混じりの中年バーテンダーが
さも大層そうに瓶を手に取り、薄汚れたグラスに注いだ。
「見ない顔だな」
「ああ、今日この町に流れ着いたばかりさ」

若い男はグラスをゆらりと受け取り、その中の黄昏を透かし見つめた後、
少し離れた隣のブロンド巻き毛の女に目を流した。
その女の気の強そうな切れ長の瞳とかち合った。
この様な荒野にあっても潤んだ唇が気怠く笑みを含んだ。
「この町は初めてなのね、可愛い坊や」
「ヘイ、レディー、坊やはないぜ、ジョニーと呼んでくれよ」

「カウボーイ見習いか何かの仕事を探しに来たのかしら?」
「俺はただの放浪ガンマン、美しい君のために流れてきたのさ」
ちらりと黒いマントをはだけ、しなやかな木製のグリップを覗かせた。

「美しい君じゃ呼びにくいもんでね、その麗しい名前を聞かせておくれよ」
「ローズ、町の宿の"女"よ」
「そうかい、ローズ、なんと美しく可憐な響き、荒野に誇る薔薇のようさ」
「坊やのくせに口が上手いのね」
「レディー・ローズ、俺はバーボンが似合う渋い男、ジョニーだぜ」

申し訳程度の干し肉が乗った皿を出しながらバーテンダーが割り込む。
「そいつは町の保安官が入れ込んでいる女だぞ、手を出さないのが身のためだ」
「そうかい、俺は美しい女に目がなくてね」
「この町は無法者でもやっていけるが、奴の逆鱗に触れれば、まず……」
急に言葉を切り上げたバーテンダーはドアの方へ目をやり、堅く押し黙った。

線は細いが体格の良い男が、拍車を鳴らしてカウンターの方へ向かっていた。
艶のある髭を革の白手袋で撫で付け、カーキのダスターコートについた砂を払った。
その胸元に星形ブリキのバッジが鈍く煌めいている。
「誰の許可があってここで飲んでいる?」
「酒を飲むのも女を口説くのも許可がいるとは知らなかったね」
「そのオモチャの引金、一回引き切る前に風穴が空くぞ、6つだ」

ホルスターから抜かれると同時にシリンダーががちゃりと回った。
ホール内が一瞬で静まり返り、陽気なピアノも止まった。
何人かが二人の男の方へ赤ら顔を向けた。
「ヘイ、シェリフ、あんたが先に抜くのかい?」
「無法者は後ろから撃ち殺しても良いルールだ、ここではな」

「俺は決闘以外で先に抜いたことはないさ」
「私が決める、無法者かそうでないかはな」

髭面の男は右手にしたシングル・アクション・アーミーの撃鉄を静かに戻した。
「端でミルクでも飲んでな、その方がお似合いだ、お前のようなガキにはな」

静けさは去り、ざわざわと元の騒々しい話し声や音楽が訪れた。
「全く血の気が多い奴さ、今日という日を楽しめよ」
「ガキは後ろに気を付けることだ、せいぜいな」

何でもなかった風にジョニーは不味いバーボンを一気に煽った。
そして、入って来たときと変わらず颯爽とサルーンを後にした。


その夜、ジョニーは馬小屋で眠りについた。
不意に過去の出来事が頭の中を逡巡した。
已む無く殺した男、過去の女、国に残した母のこと。
決闘に暮れる毎日、牛を追う仕事、暗殺の依頼。用心棒。
ネイティブアメリカンとの壮絶な抗争。
後悔は少なからずあった。が、生きる意志は魂そのものだ。
「今日という日を生き延びた奇跡に感謝を」
まどろみの中、意識は途絶えて行った。


長旅の疲れで泥のように眠っていたジョニーは
外の大通りでの騒ぎに目を覚ました。
女の悲鳴と銃声が煩かったのだ。

通りには幌馬車に宿の馬を乗せようとする3人組の男がいた。
拍車のブーツにウェスタンシャツ、隣の牧場のカウボーイか。
それを女が必死に連れ戻そうとする。

馬泥棒とはよくある光景だな、とジョニーは思った。
しかし、その女はローズであったのだ。

1人の男がローズの顔を叩いた。
「馬は俺様が預かる、これはルールだ、女」

ジョニーの血が煮えたぎり、その男達の前に立ちはだかった。
「あんた、その馬をどうするんだい?」
「これは借金の肩代わりさ、文句なら保安官に言いな」

「そいつはシェリフの許可を取ってるってことかい?」
「だからなんだってんだ? ルールに背けばお前も死ぬぞ」

「気に入らないね、シェリフの犬っころがルールなんてさ」
「どうやらお前は死にたいようだな、クソガキが」

ジョニーは両手でマントを勢いよく跳ね上げて翻らせ、
腰にぶら下がった2挺のM1877ライトニングを見せた。
「ヘイ、カウボーイ、びびってんのかい? そいつを抜きなよ」

荒くれた男共が威勢を張る。
「ガキが、遊びじゃねえんだぞ」
「俺様のアーミー・トリプレットで踊りな」

悪態を付いた2人がシングル・アクション・アーミーを抜いた。
やや後方にいる男の獲物はウィンチェスターM1873だ。

ジョニーは少し後方に反り傾き、腰のあたりで抜き構えた。
一斉砲火、轟音と白煙がまき散らされる。
電光石火、その真ん中を割るように響き渡った12の雷鳴。
両手にしたダブル・アクションのリボルバーが1回りした。

そして、空しい静けさが辺りを包んだ。
3人の荒くれ者は、皆3、4発食らって息絶えていた。

それでも、わずか1発がジョニーの黒いマントをかすっただけだ。
「暑い暑いって左団扇してりゃ、当たる道理もないさ」

左の銃口から立ち上る煙を吹き放ち、
全弾連射で熱く呻る銃身を冷やすかのように、
両銃それぞれ逆方向に素早くスピンさせてホルスターに収めた。

「ありがとう、助かったわ、……ジョニー」
「お代は高くつくぜ」
黒いハットを軽く押さえながら整えた。

「あたいの宿に飲みに来てよ、奢るわ」
「そいつはありがたいねぇ」


女の宿は質素ながらも小奇麗な部屋であった。

もう宵も近い。二人はテネシー・ウィスキーで喉を潤した。
「あんたは勇気ある男だったわ、ジョニー」
「麗しのローズ、君だったから助けたまでさ」

「こんなに小さい子供なのに、あたし……」
「惚れちまったかい? ローズ」
「……」
「俺に惚れたら火傷するぜ、レディー・ローズ」

二人の瞳がお互いを捉えて離さない。
その距離がまた一段と近くなった。

情熱的なキス、アルコールで燃え上がるようであった。
ローズの腰が砕けるように落ちた。
少し照れたジョニーはもう1杯ウィスキーを煽った。

この瞬間ローズは幸せの余韻を感じていたが、不安もあった。
「町の保安官……ジャックからは逃げられないわ」
「シェリフは関係ないさ」
「今日のこともそう、この町から一緒に出てくれないかしら、ジョニー」
「俺は自由と平等を愛する男、君はそのままでも美しいのさ」
「そんな、あたいは誰とでも寝る女よ」
もう一度、今度はより深く口付けを交わした。
そして、優しくときに乱暴に抱きかかえ、ベッドに押し倒した。


朝も過ぎ、陽は中天に差し掛かったころ、部屋にローズの姿はなかった。
久しぶりに柔らかなベッドで休息をとったジョニーは上機嫌で目覚めた。

「今日という日を楽しむのが俺のルールさ」
愛銃のライトニングに弾を込め、シリンダーを回し、
確実に作動するよう細心の確認をした。

起き抜けにブーツを履いたままウィスキーを煽り、黒のマントとハットを被る。
ジョニーは決闘、銃、女、酒、それ以外に、ギャンブルもこよなく愛す。
調子の良いこんな日はツキがあると思い込む癖があった。
そのまま、デスペラード・サルーンに足を向けた。

サルーンの奥まったテーブルでろくでなし達がポーカーに興じていた。
ジョニーを鴨と思い込んだ連中は卓に迎え入れ、
大して多くもない掛け金で時間を潰しているようであった。
丁度、ゲームが白熱していたころ、ジョニーはその殺気に全く気付かなかった。

がちゃり、シングル・アクション・アーミーの硬い銃口が黒いハットを突いた。
「後ろには気を付けろと忠告したはずだ、デッドマン」
「勘弁してくれ、カードがばれるじゃねえか」

「もう撃鉄はこっちを向いているぞ」
「昨日の話なら、奴らが先に抜いたのさ。何人か見てた奴が……ローズもね」

「その女の話だ、無法者など知ったことではない、どこでくたばろうがな」
「女のためにその無法者になろうってのかい? 強盗もあんたの差し金だろうさ」

「私がルールだ、ここではな」
「あんたのそのルールってやつが気に食わないのさ」

「ルールに刃向うルールはない」
「ここでお気に入りのハットに穴を開けられるのは平等じゃないね」

ジョニーはおもむろにエースと8のツーペアのカードをテーブルに晒した。
「次の一枚でフルハウスに出来たら俺と決闘してくれよ」
「ガキが決闘だと、笑止だ」

テーブルに積まれたカードを滑らかに捲った。
それは、当然のようにハートのエース。

「俺は運が良いのさ、あんたより早くそのハートを撃ち抜いてやるぜ」
「そのオモチャでか?」

ジョニーは向かい壁に掛けられたバッファローの頭蓋骨の左下を指さして煽る。
「シングルなんて旧式の骨董品だね、そこの壁にでも飾ってれば良いのさ」
「私のピースメーカーは狙った無法者を逃がしたことがない、1つも例外なくだ」

「あんたの作った平和、そのちんけな法のルールを俺の稲妻で切り裂いてやるぜ」
「良いだろう、買ってやるぞ、その首を、おい、いくらなんだ、その首は、ガキが」

「俺の首は高くつくぜ、あんたはそのバッジでも賭けときな、シェリフ」
ジャックは怒りに身を震わせた。彼にとってバッジは平和の誇りそのものであった。

ポーカーのメンツがひそひそジョニーに忠告する。
「おい、やめとけよ、奴の早打ちは伊達じゃないぞ」
「俺の方が早いね、あんなのただのでかい的さ」

ろくでなし達はこれはよしと騒ぎ立てる。
「良いじゃねぇか最近退屈してたんだ、見物だぜ」
「どっちが生き残るか賭けようぜ、俺はガキに$10だ」
「どいつもこいつも狂ってやがるぜ」

ジョニーとジャックは無言のままサルーンを出た。
その後姿に諌める者は誰もいなかった。


決闘場所は町の中心を貫く大通りのど真ん中。
両側に店や宿が立ち並び、多くの人々が成り行きを見守っている。
先ほどのポーカーのメンツからただ一人まともそうな奴を立会人とした。

「さあ、無法者の処刑を始めようか……」
保安官はブーツの拍車を外して道端に放り投げ、苦虫を噛み潰したような表情で凄んだ。

「今日という日を楽しめよ、シェリフ」
「お前には来ないぞ、明日という日はな、ガキが」

陽は傾き始め、無常なほど青かった空に紫が滲み出す。
砂埃を巻き上げてタンブルウィードが転がった。

「5つ数えて5歩行ったところが合図さ、あんたの最期のね」
「良いだろう、刻んでやる、その言葉、お前の墓標にな」

男二人は背をぴたりと合わせ遥か彼方の虚を睨む。
観客たちの視線も感じなくなる。世界の全てはお互い後ろの男だけ。
女も命も名誉も誇りも未来も平和も、唯一、信頼出来る愛銃に掛かっている。
静寂の中、長い時が過ぎた、その刹那、風が凪いだ。二人の呼吸が寸分違わず揃った。

「1」
ジョニーは右足から、ジャックは左から踏み出した。

「……2」
ホルスター近くで手を震わせる。

「……3」
カウントがやけに遅く感じる。じとりと額に汗が滲む。

「……4」
二人の心音がく大きく鳴った。

「……5」
カウント終えるが早いか、ジョニーは交差した手で以って、
振り向かず、銃も抜かず、そのままホルスターごと後方へ向け引金を弾く。

撃針が雷管を打ち、火薬が瞬間的に燃え上がる。
弾丸が施条に沿って回転し、銃口から発射される。
ホルスターを突き破り、漆黒のマントから眩い雷撃が落ちる。

ジョニーはこの状態からでも、後方7ヤードの空瓶を木っ端微塵に出来る。

4、5発、撃つか撃たずかの間だった。
ジョニーの胸からほぼ同時の2発の弾丸が鋭く突き抜けた。
2発目は確実に心臓を打ち抜かれていた。寸分遅れて血飛沫が飛び散った。

二人の弾丸は発射された。相撃ちかと思われたが、それは違った。

ジョニーの膝が崩れ、背中に反らせ上下反対に後方を見た。
「……意外と器用なんだな、ジャック」

膝を折ったまま仰向けに倒れた。心なしか不敵な笑みを浮かべたまま。

撃鉄に左手を添えていたジャックは横斜めに向き、
膝を充分に落として弾道から外側に大きく上体を反らしていた。
「後ろには気を付けろよ、ジョニー・ザ・キッド」

ぐいと脚から力任せに体勢を立て直したジャックは
元々2発しか込められていなかったシングル・アクション・アーミーをホルスターに戻した。
拍車を付け直して、ポケットから出した乾ききったシガーを咥えた。
目前にあった時計屋の柱で燐寸を擦り、火を点す。

悲鳴や囃子、喝采が観客から向けられていた。
決闘の騒ぎを聞きつけ、顔面蒼白のローズが走り寄り、
倒れている男に為すすべもなく崩れ落ちた。

煙に目をしかめたジャックは転がっていた黒いハットを無造作に拾い上げ、
それで無謀に死んだ男の顔をそっと隠し、その隣に吸いかけのシガーを供えた。
「これがルールだ、ここではな」

赤く揺らめく太陽を背に哀愁が影を伸ばす。陽は落ちる、そして、男は去る。
ダスターコートのポケットからはらりと一つ、乾いた風に舞い上がった。

無法者指名手配"向かずのジョニー"生死問わず$10,000



――今や誰の記憶にも残っていない、語られることもない、
小さな町の取るに足りないほんの些細な出来事であった。



2016.11.5<初出>


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