伯爵散文「Retmania」





序章

1985年
風俗営業等の規制及び業務の適正化等に関する法律が改定され、
バブル景気に沸く中、回転ベッドはこの国から消えていくことになった。

――それまで、
そう、神の手により創られし時から、
ずっとその上で愛し合っていた恋人たちは、コペルニクス的転回に目を回し、
「時よ止まれ、おまえは美しい」と、Catastropheの向こう側へ。

カルマによって回り続けた輪廻からの解脱。
通過儀礼として、死は広く受け入れられていた。
しかし、受け待つ世界に崩壊したのは経済の方が先で、
青々とそびえ立つデフレスパイラルを回り落ちた。
見えざる神の手に押し潰された市場では、
代わりにManufactureな寿司が回転し始める。

サーモン、いくら、あなご、サラダ巻き、ハンバーグ、プリン、玩具、
隣の犬の首輪、使用済みコンドーム、有閑マダムの世間話、
ありとあらゆる物体が回っていったが、
ついに、あの恋人たちを見ることはなかった。



1章 大人のレトリカ

子宮をくすぐるまっさらな教科書の匂い。
チョークの匂い。配膳服の匂い。墨汁の匂い。
めぐりめぐって、と言うよりも、
大人になれなかった一重の罰で、
まだ、私はここにいたということなのです。

「この黒くて立派な傘は陰茎の暗喩です。
 おじさんは子供たちの情事に惑わされ、
 Katharsisに到達してしまいましたとさ」

「ここまでで何か質問はありますか?」

「はい、先生! おしっこ!」

そうしてトイレへと旅立とうとする生徒に、必要になるかもしれない少しのお金と、
ウッドストックがプリントされたお揃いの水筒と弁当箱を持たせて見送った。
そのまま戻ってこないなんてよくあること。

ええ、そうなんです!

冷蔵庫や便器に似顔絵を貼り回ったり、「探偵!ナイトスクープ」へ依頼したりしました。
最終的な話をしますと、ゲシュタポの狩り立てをもってしても、
見つけ出すことは不可能でした。きっと彼らは大人になったのだろうと思います。
一度だけ、「あの人は今!?」という番組で、
それらしい人物が草野仁と談笑していたのを見かけたけれど、
私にはもう、本当にその人なのか分かりませんでした。

「では、授業に戻りましょう」

――Rhetoricとは、直喩、暗喩、提喩、etc.……

修辞学的考察法は常に客観性に満ち、Contextを履き違えないよう、
教え、導かなければなりません。それは私たちの重大な義務であり、
まさに今、為さなければならないことなのです。

私はInvolute曲線を描いて、技法の相対位置関係と、
その構成を円の伸開で説明することに決められていました。

 x = cosθ+θsinθ
 y = sinθ-θcosθ

その中心Oをチョークでカツカツ鳴らす。
黒板は恨めしそうに私をにらみつけ、体をブルブルと揺らし白い粉を払い落とす。

またも、失敗!



2章 Sealed with A Loving Kiss

彼と出会った日のことは、いつも遠い日の夕焼けだった、と記憶しています。

そりの合わない黒板のヤツを4の字で固めて、
10カウントが過ぎようとしていたあの日の放課後。
そこに、跳ね上がる黒板消しを見て、
「仕事は終わりました、先生」と男の子。

彼は「今日の日直さん」と呼ばれている。
誰が初めにそう呼んだのか、有史以前、寒さから逃げ惑う類人猿かも知れない。
闇霞む洞穴の最深から、数万年の敷居を一歩で跨ぎ、
ゼイゼイと息をはずませる黒板の日付を書き直す。

「こいつ赤のチョークが嫌いなんだ。気難しいけど本当はいい奴だよ」

グラウンドに遠く野球部員たちの声が響き、
この世との境界が秒速19万マイルで私の元から離れていく。

――無音、斜陽が私たちの影を長く伸ばした。

伸びて、伸びて、その先っぽが人類の英知の発展にまで追いつこうかというとき、
The Bee Geesの「Melody Fair」がロッカーのスリットをくぐりぬけ、軽やかに流れ出す。

まるで古びたレイディオ、轢き殺された重低音。
80年代製クラウンセダンにプレスされたヒキガエルの背中に思いをはせる。
それとは裏腹に純粋無垢な少女時代、カエルではなく、金魚と戯れる。私はメロディになった。



3章 No.7

雨が降る。それは今日のように、しとしとと。

テネシーワルツを揺れるJack Daniel'sに琥珀と。
レーズンバターに一切れ齧るは華やぐ香りの揮発する。

33と1/3回転する溝へとルビーのスタイラスが落ちていく。
そう、ゆっくりゆっくり、乱暴にしないで。

「今日の日直さん」は口唇に偏愛を示す。
フェラチオ、イラマチオ、尺八を。クラスの女子は口で愛さないらしい。
「今日の日直さん」は私の左の乳首をCarameliseeと呼ぶ。
ジャズ歌手、シャンソン歌手、シャンゼリゼに音が鳴る。
だからMa cherie、僕らの愛の賛歌を聞かせて。

Aventureは明日も明後日も明々後日も。

私たちは何日も何日も、ここに留まりました。
そして、何日も何日も雨が止むことはありませんでした。
私は私で私と私の小さな恋人の中の寓話の世界の一人の少女のこのそのあのどの? を聞きながら……



4章 マ・メール・ロワ

There was a lady all skin and bone.
Sure such a lady was never known.

Rhyme(脚韻)を踏むたびに肉を失う少女のお話。

肉とは社会性の暗喩なのでしょうか? いえ、ただ単純にパンのことかも知れません。

――そこで少女は言った。

「私も死んでしまうとこんな風になってしまうの?」

「Yes、そうですよ」

「Jesus!」

少女は短いロードムービーの中にいました。
教会へ祈りを捧げに行く、それはそれは短い旅でした。

死についていささか無知だった少女、たとえば、死んだら私はお星様になるの、
なんて思ってはないだろうけど、そこまで違わないほどに知らなかった。

死肉を啄むカラスが一羽、少女をからかった。

――そこで少女は言った。

「死骸以外の遺骸は死骸と違いがあるの?」

「Yes、ありますよ」

「Jesus!」


ここで描写が一変、灰色の空にパン・アップ、暗転、そして詩集へズームイン。
夢の話を少女に語らせる。

つまり、今現在、画面を通してこの文章を読んでいるあなたにとって、
ここからは作中作中作ということになる。


墓場に横たわった男がいた。
鼻からあごへ蛆虫が行進している。

少女はこの不憫な男の墓穴を掘る。
ところが、男の体はバラバラで、
散らかりっぱなし、出しっぱなし。
指はどこにも見当たらないし、
内臓はドロドロぐちゃぐちゃに
メルカトル図法で飛び散っていた。

「ああ、ああ、なんて面倒くさいのかしら」
馬鹿らしくなってシャベルを放り投げた。

シュークリームを齧ったようにとろけ落ちそうな眼球が
悲しそうに垂れ下がっていた。

「ほんとうにしょうがないわね」

ため息を一つ、だらしのない男の臓物を
針と糸とで縫いつけ始めた。

 うらにかへるはいのりのしゃざい
 つみのようでつみじゃない

 つかわされたかみのしと
 うらなさけははりといと

 ちくちく
 ざぐざぐ
 くちゃくちゃ
 ぐしゃぐしゃ

 きょうのばつはなんはりめ?

(作中作中作「夢の詩集」終)


少女の躯はついに骨と皮だけになった。不可逆的停止がガリガリ軋ませ迫り来る。
夢の死骸(遺骸?)はおむずかりのご様子で、嘲笑う冷たい土の中、一寸また近く……

やがて訪れる最高の瞬間に今、運命の鐘を鳴らせ。


「お話はここまでです、先生」
日誌の最後のページをなぞってそう言いました。


そこには何もない白く綺麗な世界にいた小さな鳥たちのさえずりが耳鳴りのように遠く近く聞こえる誰も辿り着くことのなかった秘密のあの園で透明な絶望と光り輝く絶望とが限りなく溶け合う深い湖の底へと儚くも沈み往く無数とも思われる黒く黒い仇花の弁を眺めながら常しえの悠久を嘆きひたすら煙を吐き続ける男の隣に立ち尽くすがらんどうの心を持ったもう一人の男に鋭く捻じ曲がったナイフを突き立てた虚ろな瞳の侵入者が死んだとき産声をあげた悲しみという一つの希望に為す術もなく縋りついた孤独に耽る私たちのほんのささやかな時間は機微の欠損した静けさの中ただ無言のままにくるくる廻っているだけでした。



2016.1.15<初出>


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